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【猫哲学46】 猫は狩猟民族か?

 農耕民族と狩猟民族という言葉がある。

 言葉があるかぎり、それをどう使おうとご勝手にといってしまえば話
はそれで終わりだが、農耕民族や狩猟民族がまるで実在する(あるいは
実在した)かのように語る方々は、アホである。

 こんなことを書くと、かなり多くの人に憎まれることになるにちがい
ない。でも、いいもんね。私は天下無敵の失業者、プータローにして猫
哲学者だ。私をいじめることなど、この世の誰に不可能なのである。う
ははは。

 さて、猫は狩猟動物である。ネズミや小鳥やその他の小動物をつかま
えて食べる。だが腹が減ったら芋や果物なども食う。猫草だって食う。
その意味では草食動物である。

 わが家の猫は私にメシを強要して出てきたものを食う。自分ではメシ
を獲得する能力もないくせに、私に命令することで食っている。出され
たものは肉でも魚でもごはんでも野菜でもなんでも食う。いわば雑食の
寄生動物である。たかがバカ猫一匹だけをとりあげても、これだけいろ
いろと定義できるのだ。では、人間はどうなのだろうか。

 日本人は、かなり長いあいだ農作を経済の基本としてきた。だからと
いって農耕民族である、と定義してしまうのは短絡である。日本人のな
かには漁民もいる。それも、ずいぶんたくさんいらっしゃる。1000
年前から代々漁師という由緒正しい方もたくさんいる。

 その他に、歴史の教科書では軽く扱われすぎているが、日本には古く
から海賊が多くいた。村上水軍とか九鬼水軍とかが有名だが、要は海洋
民族にして海賊である。この人たちは自分たちが食べるための畑も少し
はもっていたが、生活の中心は海上で船を襲ったり沿岸を略奪すること
だった。これを農耕民族といっていいのかね。日本民族のなかには狩猟
で生業をたてている人たちもいた。とはいっても彼らが狩猟民族といわ
れているわけではない。そういえば、日本人の祖先は騎馬民族だったと
主張する人もいたな。

 ほらね、なんだかわけがわからなくなってきたでしょ。日本人のこと
だけでもこんな風なのに、西洋人が狩猟民族だったのかどうかを検討し
はじめると、話はもっと混乱してくるのだよ。

 現代西欧文明の母となったのは古代ローマだったが、帝国の力の中心
であった戦士たちは農民だった。しばらく前にローマ時代を描いた『グ
ラディエーター』という映画が公開されたが、その主人公は偉大なる戦
士にして有能なる司令官であり、正体は農家のおっさんだった。あれが
典型である。

 ローマの前に栄えたギリシアではどうだったか。アテネやスパルタの
市民は戦争ばっかりやっていて、農作業なんかいっさいしなかったらし
い。だがそれは、古代ギリシアが奴隷制社会であり、農作業は奴隷がや
っていたからだ。そういう意味では、ギリシア人というのは戦争民族だ
といってもいいのだろうが、経済の基本は農業であった。

 では、最も狩猟民族と間違われやすいゲルマン人はどうかというと、
彼らは牧畜・農耕の民なのである。カエサルの著書『ガリア戦記』を読
めば、ゲルマン人がどのように生活していたのかがわかる。彼らは牛や
馬を飼いつつ畑を耕し、放牧・農作業のできない冬場になると軍隊を組
織して(というよりも徒党をくんで、かな)周辺を襲うという生活をし
ていた。これを「困ったもんだ」と考えたローマ帝国が、カエサルに命
じてガリア(北ヨーロッパ)遠征に向かわせたのである。

 ではもっと北方、スカンジナビア半島に住んでいたノルマン人、デー
ン人なんかはどうだろう。この人たちの国土はやせていて気候もやたら
寒いし、農業をしても収穫量は少ない。そんな生活をなんとかしようと
て、彼らは船団を組み、南方の沿岸地方を荒らしまわったのである。い
わゆるヴァイキングね。しまいには、国をまるごと占領してしまう連中
まで出てきた。フランスのノルマンディー地方、国としてのデンマーク
なんてのは、その略奪の名残りが地名になっている。

 しかしノルマン人たちがなんでまたそんなに生きにくい土地に住んで
いたのかという原因をたどれば、もともとは黒海沿岸の豊かな土地に住
んでいたのが、フン族の大移動によってふるさとを追い出され、北方の
辺境に住み着くしかなかったのである。つまり彼らは、もともとは農耕
民族だったのだ。

 さあて。ここまで書いてくると、狩猟民族なんていったいどこにいる
んだとみなさん思われることだろう。

 アッチラで有名なフン族は、かなり凶暴な人たちだが、でも基本的に
は羊を飼う牧畜民族である。中央アジア地方は、狩猟だけで食っていけ
るほど動物が豊かにいる地域ではない。牧畜民族としては、アフリカの
有名なマサイ族も牛を飼う牧畜民族である。過去は農業もしていたが、
今は土地がやせてしまい、現在どれほど農業に依存しているのかはわか
らない。

 そろそろ結論をいっときましょうか。狩猟民族なんてものは、どこに
も存在しないのである。それも、原理的に存在不可能なのだ。このこと
をこれから論証しよう。

 ライオンは狩猟動物であるかのようにみえる。たしかに、狩猟をする
ことで生きている。しかしよく観察すると、ライオンの群というものは
草食動物の大群に寄生、依存している特殊な生き物なのだ。

 アフリカの大地には、象を頂点とした鹿、牛、カモシカ、豚等々草食
動物の大集団が暮らしている。彼らが暮らす平原の周辺に、肉食動物で
あるライオンもいる。ライオンの存在は、雑多な草食動物がつくりだす
豊かな一大生態系を前提としているのだ。だから、乾期になって草食動
物が大移動を始めると、ライオンもついて歩く。草食動物が移動しない
季節は、ライオンは草食動物の群の周辺で昼寝をしている。その姿たる
やまあ、のんびりしまくってバカみたいである。

 つまり、いつでも楽に獲物にありつける特殊な環境を前提として、ラ
イオンは狩猟動物をやっていられるのである。彼らは獲物を探し回った
りしないし、移動もほとんどしない。狩猟民族なるものが話題にされる
ときの特徴、たとえば油断のなさ、獲物を求めて旅するための注意力や
判断力、飢えに耐える粘り強さ、血に飢えた暴力性、残酷さ、独立心…
のような諸々の性質は、ライオンにはぜんぜんないのである。だいたい
やねえ、ライオンは固い掟にしばられた群れ動物で、食い物を調達する
(つまり狩猟をする)のは雌の役目と決まっているのだよ。

 狩猟民族の特徴としていわれる諸々の性質とは、実は虎や豹のような
群をつくらない孤独なハンターたちのものなのである。しかし彼らは、
あくまでも個体だけを単位として生活していて、獲物の少ない北方の森
をすみかとしている。群になんかなってしまっても、集団での生存を維
持できるほどたくさんの獲物をみつけることはできない。つまり、虎や
豹は、民族を形成するような生き方をしていないのだ。

 そろそろわかってきましたか。結論をいこう。

 狩猟のみに頼るような生き方をしていたのでは、食える食えないのリ
スクが大きすぎて集団で生きることはできない。集団でないものは民族
とはいえない。よって狩猟民族という存在は、原理的に成立しえないの
である。

 これを、猫哲学的民族論の原理という。ついさっき思いついたんだけ
どね。

 エスキモー(イニュイ)は狩猟民族だぞと思っている人は多いが、あ
の人たちは夏場は牧畜と農業をし、酷寒の冬になるとカリブー(大型の
トナカイ)やときにはアザラシを狩って食べたりする。アザラシもカリ
ブーも、探し回らないとみつからないというような獲物ではない。北極
圏にはあふれるほどいる(あるいは、過去にはいた)のだ。つまりライ
オンの立場と同じことね。だからエスキモーというのは、平和的な人々
である。狩猟民族なんて凶悪なレッテルをはっちゃいかんよ。

 さて人類というのは、ある一時期、狩猟民族であったかのように誤解
されている。なぜかというと、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画に、マ
ンモスや大型草食獣を集団で襲う絵が残されているからである。

 たしかに氷河期の終わりの頃(といわれているが、私は話半分に受け
止めている)人類は共同で狩りをしていたらしい。しかし、そんな壁画
が残されているからといって、当時の人間が肉ばっかり食っていたと考
えるのは短絡もはなはだしい。

 むしろ、あのように狩ができることというのは、珍しいことだったの
ではないか。希に起きるような僥倖だったからこそ、祈りをこめて壁画
に描かれたと考えるのが自然ではないのかと私は思うのだ。

 和歌山県太地町にはクジラ漁の絵巻もクジラ塚もあるが、太地町の住
民はクジラばかり食って生きてきたわけではない。むしろ、1年にそう
何度も起きないような幸運ということで、クジラがまた来てくれたらい
いのになーという願いをこめて、絵画が描かれたのである。もちろん、
太地町の住民を狩猟民族と呼ぶバカはいない。

 というわけで、狩猟民族なんてどこにもいないのである。農耕民族だ
って、本当はあやしいものだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「でもあたしは、狩猟民族が好きだな」

 例の超美女は、いつものようにまたまた理不尽なことをいう。

「足が長くてかっこいいからとでもいいたいんだろ」

「その通り~。でもそういう意味では、あたしも狩猟民族よね」

 どこか遠くの国の、ジャングルにでも行っちまいやがれ。

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